認知心理学からみたそろばん 〜世界の論文を眺めると〜
「そろばんでの計算発達は、計算手続きの複雑さがその効率の利点となっている」
Procedural complexity underlies the efficiency advantage in abacus-based arithmetic development
Chris Donlan, Claire Wu
Cognitive Development 43 (2017) 14-24
この論文の興味深いところは、過去に遠山啓が『水道方式とは何か』(1980)の中で、「二進法と五進法の混合した珠算的方式は正道とは言い難いだろう(水道方式論1・暗算批判と水道方式)」と述べた、その複雑なシステムがそろばん計算の利点となっていると主張しているところにある。
そろばん熟達者の計算速度と正確性はすでに知られているが、この研究でも、台湾のそろばん熟達児童とイギリスの同年代の児童を比較し、そろばん熟達者の計算速度が圧倒的に優れていることを示している。
これは、幼いころから、五進法と十進法、それぞれの補数を利用して計算することが、アラビア数字のみで学んだ学習者よりも、表象的利点を生んだ結果だと結論付けている。
イントロダクション
そろばんでの計算の仕組みが述べられており、指使いを補数の使用回数によって3つに分類している。
- 一度も補数を使用しないもの
- 一度補数を使用するもの(5の補数利用、もしくは、10の補数利用)
- 二度補数を使用するもの(5の補数と10の補数の双方を利用)
実験1
補数がそろばんでの操作と同様にそろばん式暗算でも利用されるという仮説を検証する。もし、そろばん式暗算がそろばん計算を心内再生したものだとすると、たくさん補数が必要な計算が入っていれば、計算の時間も長くなるだろうと想定する。
参加者
台湾の珠算学習者児童200人を3つのグループに分けている。3-6歳、7-10歳、11-15歳
材料と手順
一桁の見取算10問×2条件
半数は補数利用回数の多い問題を右列に10問、左列に補数利用回数の少ない問題。残り半数はその逆。
- 最初に右側の列の問題を解く
- 全問解けると手を挙げる。ラップタイムを計測。
- 左側の列の問題を解き、同様にタイムを測定する。
実験2
参加者
同年代のイギリス人児童の中で、比較的計算に自信のある参加者。
材料と手順
実験1と同様。
実験結果と考察
台湾人珠算学習児童の中では、補数利用回数の多い問題と少ない問題を比較したとき、補数利用回数の多い問題の
解答時間が長かった。そして、熟達レベルを問わなかった。それに比べて、イギリス人児童ではこの差は見られなかった。
そこから、そろばんの5進法と10進法を組み合わせた複雑な補数操作が、役割を果たすことが示されたとしている。
また、補数操作は、そろばん熟達者だけでなく、年少のそろばん学習経験者の暗算にも起こることを示している。
著者らはこれを「驚くべき発見」としており、暗算の視覚記憶処理の強化は熟達によって促進されるという、波多野 (1987) らの見解とは異なるとしている。
感想と疑問
五の補数と十の補数の使用がそろばん計算システムの根幹であることは疑う余地がない。この研究では補数を利用する回数が多い問題では、計算時間が長くなることを示している。これにより、Stigler(1984)が主張しているように、そろばん式暗算(メンタル・アバカス:MA)が実際のそろばんを心内イメージで操作し計算していることの裏付けにはなるであろう。
また、台湾人そろばん熟達児童と同年齢のイギリス人自動を比較して、そろばん熟達児童の計算成績が際立っていることを示している。
著者らは、これら二つの観点から、5と10、二つの補数を利用するそろばん計算システムがアラビア数字のみでの計算より優れていると結論付けているが、果たしでそうだろうか?
まず、二つの補数を利用したシステムが、そろばん熟達児童の計算処理能力が速いことの原因だと、この実験で直接示されているわけではない。
そろばん学習児童が、補数利用が多い問題で、計算時間が長くなったことは、単に手順が多くなるのだから、当然、時間がかかるともいえるのではないだろうか。