認知心理学からみたそろばん 〜世界の論文を眺めると〜


「そろばんエキスパートのパフォーマンス」

Perfomance of expert abacus operators.

Hatano,G., Miyake,Y.,& Binks,M.G.

Congnition, 5(1)(1977),47-55.

海外の学術雑誌にそろばんに関する研究が掲載された最初の論文である。 これまでそろばんの操作、そろばん式暗算にたいしてシステマティックで科学的な研究がなされていなかった状況の中、 そろばん、暗算という日本の計算器具を世界の科学者につたえる第一歩となった研究である。

第一著者である波多野誼余夫氏は、日本の熟達研究の先駆的存在であるが、 このそろばんの論文が受け入れられ、国際雑誌に掲載されるには多大な苦労があったという。


イントロダクション

まず、そろばん上級者の練習を観察し、以下のようなことが認められ、興味を引いたという。

  • そろばんの使用が徐々に内在化されていく。上級者になるとそろばんを使用するよりも、そろばんを使用せず暗算でより速く正確に計算を行うことができる。
  • 暗算を行うとき、あたかもそろばんがあるかのように指を動かしている。それが名人レベル(grand master)になると、それさえもなくなっていく。
そして、過剰学習の結果以下のようなことが起こるのではないかと仮定している。
  • そろばん使用者は、計算に対して限られた量の注意しか必要としない。
  • 計算に際し、言語がほとんど関与していない。

実験方法

この研究では二重課題法(dual-task technique)を用いて、以下の5つの問題を検証していく。

  1. ほとんどすべての熟達者が暗算で計算をすることができるのか? できないのか?
  2. 指の動作を禁止されたり、干渉された場合、暗算の成績にどのような変化があるのか?
  3. そろばんを操作している最中に質問をされたら、答えることができるのか? できないのか?
  4. 暗算をしている最中に質問をされたらどうなのか?
  5. 1から4の疑問にの答えは熟達レベルによって変化するのか?


実験参加者は、そろばん計算課題を7つの異なった状況で行うことを求められる。

E1:
通常通りのそろばん使用(ベースライン課題)
E2
暗算(ベースライン課題)
E3:
そろばん(算数に関連しない質問に答えながら 例.あなたの名前は? 日本で一番高い山は?)
E4:
そろばん(簡単な算数に関する質問に答えながら 例.3+8=? 16-9=?)
E5:
暗算(算数に関連しない質問に答えながら 例.あなたの名前は? 日本で一番高い山は?)
E6:
暗算(指を動かさないで)
E7:
暗算(タッピングを行いながら)

実験結果と考察

暗算(E2)において非常にはっきりとした個人差が現れた」と報告している。また、暗算時に指の動きを禁じた場合の成績への影響が示されている。 この実験では、少なくとも幾人かの参加者が指の動きが計算を補助していると報告している。しかし、同時に、熟達が最も高かかった二人の参加者にとっては、 指の動きを禁止しても、タッピングによる動作干渉を与えても成績はほぼ100に近いものだったと報告されている。 このことからそろばんの内在化の過程で、そろばん操作をまねた指の動きは重要な役割を果たしていると結論付けている。 そして、完全に内在化され、成熟した状態になると指の動きを禁じられてもタッピングを求めれても干渉を受けない状態になる。 そして、たし算においてはそろばんを動かすよりも速いスピードで計算が可能であるとしてる。


感想

イントロの一つ目に挙げられている「そろばん使用者は限られた注意しか必要としない」ということが示されれば、算数の問題を解くときなど、計算に必要な注意がわずかで済めば、読解など他のことに注意を向ける余裕が 生まれるといえる。このことは、「そろばん学習の有効性」を導くことができる鍵となる考え方といえるだろう。
また、暗算の個人差についての言及されているが、これは実際に指導をしていても感じることが多いので興味深い。 この暗算(MA)の成績は、個人が生まれながらにしてもっているヴィジュアル・ワーキングメモリの容量に影響を受けることを示唆した研究も存在している。
日々、そろばん、暗算を指導している立場からいうと、暗算能力はそろば自体の熟達によっても、子供の発達段階によっても異なるように感じる。 また、得意と不得意の差の境をどこにおくかも問題となる。読上げ算で1桁5口のたし算引き算程度ならば多くの生徒ができ、差を感じるレベルでもない。 2桁5口くらいまでならば、そろばんの熟達とともにできていく生徒も多い。はっきりと得意・不得意が分かれるのは3桁以上ができるかになってくる。 このレベルで個人のヴィジュアル・ワーキングメモリの差を感じるが、現実社会での必要な計算と考えると、大きな影響がないレベルだと思われる。